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 昭和54年 3月20日   朝のご理解


 ご理解  第44節『狐狸でさえ神に祭られることを喜ぶというではないか人は萬物の霊長なれば死したる後、神に祭られ神になる事を楽しみに信心せよ』


 神に祭られる、神になる。合楽で始終言われます、お道の信者、信奉者は生神をめざす精進なんだ、と。生神の精進をさせて頂くことだ、と。これは言うならば神になり神に祭られる事の修行をしておるわけです。
 だから、それが楽しみになるような信心をしたい、という事は、はぁ、これが神になっておるんだな、と。これが神に向かっておる実証だな、というものを自分の心の中に感じられる。この調子で行けば私共でも神になる、神に祭られる、ね。楽しみに信心せよ、とおっしゃるのですから、手答えを、神になる、生神への精進をしておる、といういるしをです。私共が感じさせて頂けれるようなおかげを頂けよ、という事だ、と思うんです、ね。楽しみに信心せよ、と。
 昨日、箱崎教会の奥様先生がお参りになりました。今ここで修行しております佐田先生のお母さんです。昨日、お夢を頂いた、と。そのお夢が両方の手に小鳥を持っておる。
 そして誰かが自分で両手で持っておったんでは自分の事が出来ない。だから、それは、もう合楽につないでおるから、というようなご理解を頂いたんです。ま、子供の事を親が祈り願う。これはもう、親として当然のことですけれども心に、これは子供だけの事じゃないでしょうけれども。自分自身の信心とか、心配とかいうものを持っておったんでは、ね。両手にこうやって持っておったんでは信者がお取次を願った時に、どうしてその取次いでやれるか、と。自分という者をいつも空にしとかなければならない。又は自分の心は取次者として、いつも信心の喜びに浸っておる位のおかげを頂かなきゃならん。それこそ神になる事を楽しみの心というものが、いつもあらなきゃならない。いつも様々な問題、様々な難儀というものは、ない事はないけども、それはいつも神様にお預けしきっておる安心の心を頂いておかなきゃならない。
 そして次には、その箱崎教会が役場になっている、役所になっている。して、そこの二人三人の吏員の方達が、その中の一人に自分がなっておって、いろいろと書類を提出している、持ってくる、何か願い出てくるという人達に、ね。このところが字が間違っとる、判の捺すどころがちがう、というように、その訂正してやったり教えたりしておるところを頂いた。その次には沢山な子供達が箱崎教会に遠足をしに来てるところを頂いた、と言う。
 だから取次者というものは、ね。言うならば信者の面倒を見る、信者の願いを神様にお取次し、神様の願いもまた信者に取次がせて頂くのが、お取次させて頂く者の御用なのだ。それが自分の事でいっぱい、といったような事ではでけない、ね。それこそ、まちごうておる願いをするような人もあろうけれども、それはこういう願い方をしなきゃいけませんよ。真心とは、真とは、と判の捺しどころがまちごうとる。ここに判を捺さなければいけませんよ、と。教えてやってそれが神様にスムーズに通ずるような、ね。おかげを頂かなければいけませんよ、と。それを昨日の朝の御理解でね。そういう行き方を、年期を入れていくうちに、一分一厘まちがいのないようなお取次も出来るのですよ、と。
 佐田先生の御親戚にあたります安武先生が、あゝして毎日日参されます。それこそ自分でもびっくりするようなおかげも頂いております。熱心でもあります。お母さんも、あゝしてあの年で時々一緒に参って見えます。で、昨日の朝、私がお取次させて頂いた、その御親戚の安武先生のおばあちゃんの事を私が話すんです。今朝からね、安武さんお参りになられた。この前4・5日位前にお母さんが一緒に参っておられました。
 参っておられて、も、これは長年の持病のようなもの。左半身の肩のあたりがいつうも冷や冷やする病気だそうです。それで医者にもずいぶんかかるし、いろんな治療もしたけれども、それが、も治らなかったから、それはもう、ま持病だから仕方がない、というように思うておられたけれども、例えば安武先生が、あゝいうもう本当に困った病気を、おかげを受けられた、ね。次々と願われた事がおかげになっていく。だからあこれもお願いさせて頂こう、と言うので4・5日前でしたか、お参りになって、その事のお届けがあったら、その日からその冷や冷やが取れた、と言うて大変喜んで昨日お礼に朝出て見えたんです。
 だからその事を、私は箱崎の先生にお話しした事でした。だから年期を入れて、しかも間違いのない絶対のもの、という事を最近は言われますね。合楽理念をもってこうする、もそこには絶対の道がそこからひらけてくる。その絶対の道を一歩一歩歩かせて頂いて年期を入れていくうちには、ね。それこそ夢にも思わなかったようなおかげの展回とはなってくるのです。
 そして言うならば、的そのものは動かないのです。その的に向かって、それこそ当たる、当たらんは別として一生懸命本当の的へ向かって弓矢のケイコをするように、ね。稽古をしておりますと、段々それが百発百中、というように当たるようになります。信者も的確におかげ頂くうようになります、ね。という、ね。そういうおかげを頂く事のために私共は自分というものを言うならば空しうしていく。我情我欲を取りはずして信者、氏子の助かる御用に神様の言うならば思いを氏子に伝へ、氏子の願いを神様にお取次をさせて頂く、というのが金光教の取次者としての信心なんだ、ね。
 昨日は去年から恒例にして謝恩際をしておられる、福岡の松岡さんところの、去年も丁度19日の日が謝恩際で、昨日も福岡のご信者さん方皆集まって本当に有難いお祭りを奉仕させて頂きました。
 まあ、お祭りの後にお話をさせて頂いた事でしたけれども、松岡さん達が言うなら二十数年前に福岡に出られた時、まだ子供達は皆小さく資本とてもないのに、福岡におられる御兄弟に頼ってあちらへ行って、ま、ウドン屋を始められて、そして今日のおかげを頂いておられる。隣に支那料理屋があった。その支那料理屋が不振で立ち行かないので、松岡さんところに買うてくれないか、とこういう事であった。とてもまだそんなに買えれる余裕がないから、けれども神様にお伺いされたら、それこそ借金してからでも、借金しとくように、であった。もう、その借金もスムーズにおかげ頂いて隣を買い求めておった。今でも広い事はないですけれども、その二軒の店があったから今日あの4階建の家が建ったんです。
 そして私はお話の中に恐らく松岡さん達が夫婦でですね。それこそ寝物語りにでも本当にお父さん、どげん考えたっちゃ有難いおかげ頂いとるよ。これだけ沢山の子供が一人一人屑もおらず、ね。屑も、ち、言うか出来そこのうたつもおらず、ね。商売はこうやって日に日に日勝り月勝りにおかげを頂いてこういう勿体ないお家に住まわせて頂いて、とても4階建の家に住まわせて頂くなんて、その当時、夢にも思わなかったろうが、あゝおかげ頂いたもんじゃあるね、と言うて、ま寝物語りでも話しておられるだろう、という話をいたしました。
 お祭りが済んで、お礼に出て見えてからですもん。本当に先生その通りです。とても私共が福岡に出て来た時には、こういうお家で、こういうお商売をさせて頂く、というような事はそれこそ夢思っていた事ではなかった。夫婦の者がそれこそ涙を浮かべてのお礼でした、というようにです。おかげ、というものは夢にも思わないようなおかげに進展してゆく。
 だから松岡さん、あんた達夫婦の場合はこれでおかげ頂いとるから、これが、いよいよもって子に孫に伝わることのために言うなら、合楽で言われる五つの願い、ね。体の丈夫のこと、家庭に不和のなきが元であること、家繁昌、子孫繁昌のこと、ま、ここんところの家繁昌まではこのおかげを頂いてるのであるから、いよいよ子孫繁昌のおかげになってくる事のために真実の御用が、そして神様のお役に立たせて頂けるような、おかげを頂いて初めて、あそこに私が色紙に書いて上げている。 
      徳積みて栄える家や菊の花 
という様なのが、お神様の部屋に掲げてございます。
 だからそういうおかげになっていく事のためには、なら、今までの信心では家繁昌、子孫繁昌、健康なおかげ、という事だけなんだ。
 だから子孫繁昌のおかげを頂くことのために、これからの信心がかけられなければいけないね、と言うて、ま話した事でした。お役にも立ちたい、ね。神様の手にも足にもならせて頂こう、と。例えば言い願いしておる者がです。いわゆる、その箱崎の先生が頂いておられるように、ね。自分の事だけでいっぱい、といったようなものを持っておったんではお役に使うて下さい、と言うても使われるはずがない。お役に使うて頂けるから神様が、氏子が神の用をたせば氏子の用は神がたしてやる、とおっしゃるような、お徳の世界、おかげの世界が開けてくるんだ、というような話しをさせて頂いた、ね。いよいよ、これから神になる精進、言うならば死したる後、神に祭られ神になる事を楽しみの信心、これがお徳というものであろう。
 これがお徳によるものだ、と言うようなものが日々感じられる、という事は言うならば、神になる事を楽しみの信心、という事になるのです。おかげが楽しみ、というのじゃない。喜びというものじゃない。自分の心の中にそれこそ有難い心の状態が開けてくる。はぁ、この調子で行けば神になる事の精進だ、と言う事がわかって初めて楽しみ、言うならば今日のご理解で言う、その事を楽しみに信心せよ、と言うのはそういう事でなかろうか、と思うのです。私は今朝、本当に昨日、箱崎の先生にも伝え、松岡さんところでも、そんなご理解させて頂いたが果たして自分はどうだろうか。本当に我情我欲もすっかり捨ててしまって、本当に自分の中はもう只十分のお取次が出来るような状態で、いつもあるのだろうか、と。それこそ自分の願い、というようなものやらは、いつも神様にまかせきり、かなぐり捨てて御用に立たせて頂かなきゃならん、と。
 今日私は御神前でその事を思ったんです。そしたら神様がね、小さい皆さんがカバン下げて見えるでしょ。あゝいうカバン、ね。女の方で言うならハンドバッグのようなものをですね。この位のものは、もっとかんといかん、とおっしゃる。神様は、ね、心配はない難儀はない、自分の事何も考えてないという事はない。人間である以上、生きていく以上は自分にそういうものがないはずはないけども、それはね、いつでもここにすぐ置けれるんだ、という事です。私はこれを頂いて本当に神様の思い、と言うか合楽で教えられる事は、本当に行き届いた教えだな、と思うです。
ほう、そんならこれはお道の取次者だけではない。お互い信心させて頂きよる者、心配で心の中がいっぱい。難儀が心の中でいっぱい。
 そしてやはり段々わからせて頂くとお役にも立ちたい。神願成就のための手にも足にもならせて頂きたい。お役にも立ちたい、と。いくら言うたり願うたりしたっちゃ自分がいっぱい持っとって出来るはずないじゃないか、と、ま教えられたら、はあ、自分のごたる者じゃ、お役に立たんな、という事になるじゃないか、ね。けれどもね、その自分の持っておる、いつでもはなせれるもの、ね。ハンドバッグとか、手カバンのようなものでは持っとかなければ、また人間だから持っとるはずだ、とそれを、ね。何もかんも、かなぐり捨て、という事じゃない、という事を頂いてから本当にこの神様は親切な神様だな、を思いますよ。やっぱり、ね。親が子を思う切なる心をもって私共におかげを下さろう下さろう、としておるものをそこに感じるです。
昨日は宮崎の支部長である網さんの奥さんが昨日の九時に亡くなられました。
 ほんの2・3日の患いでした。お腹の中の動脈が切れておる。手術をされたけども、もうどうにもつけようがない、というような病気でした。本当に信心友達じゃ有難いと思いました。
 もう本当に宮崎支部の延岡、高鍋はもちろん。も、宮崎市内の御信者さん達が、もう一生懸命、移り変わりお願いにも見えたし電話では、も、天のつけ、火のつけ、とにかく自分達の信心では何だから大分の支部長、綾部さんにもお願いに参って下さい。久留米の支部長佐田さんにもどうぞお願いします、と電話をかけられた、という程しに一生懸命、丁度合楽会の晩ですから17日です。合楽会の晩には石川のおばあちゃんと二人のご信者さんを伴のうて、もう、丁度合楽会の半ばの頃、十時頃でしたでしょうか、参って見えました。
 もう本当にもう一生懸命に助けて下さい、と言う願いをなさいました。
 それで、も、とにかく合楽会が済んでからお届けさせて頂こうな、と言うてなら合楽会で、その信心の研修にもかたらせてもろうて終わって、またここで改めてお取次させて頂いて私が話すことです。
 あのね、宮崎の丁度一週間前に、あそこのお父さんの弐年祭にあわせて網家の慰霊祭がございました。
 こちらからも士農工商がまいりましてね。4人の子供達が行って、大変盛大なお祭り、そしてその後を宮崎の13日会、2日間にわたっておかげを頂いて帰ってまいりました。
 その朝、皆さんにもお話し聞いて頂いたように宮崎から合楽の前まで、も、見事な黒と白との幕が、ずうっうとはりめぐらせてあるというお話しをしたでしょう、ね。で、そのことによって私は一晩中一睡もせずに、私自身の修行をした、という事を聞いて頂いたですね、という事をあの晩に実は頂いてあったんです、ね。   
士農工商という事は、もう死の交渉だったんです、ね。死ぬることの交渉が、ちゃあんと霊様の世界と出来ておった、ね。
 昨日、岩先生があちらへ5人で運転手ともに参りましたが、行きがけにあちらの網家の方達に言伝を何か親先生の言葉を、と申しますから神様にお願いしましたら、あの士農工商のあの歌を頂いたです、ね。もう、その歌の文句の通りにですね。おかげを頂かれた。私そして申しました。
 素晴らしきお国替と申しました、ね。それは、あっという間に亡くなられた事ですから本当にびっくりもするし悲しい事でもあるけれども、けれども素晴らしいお国替だ、ね。素晴らしいお国替とね、一週間前にそれこそ霊様の、いろんな網家の霊様の世界がそこにある、といたしましょうか。あっち向いてござる人もあれば、こっち向いてござる人もある。不平不足を言いよる人もござる。その中にポカッと、行ったっちゃ雰囲気が悪いじゃないか、その霊様達に慰霊のお祭りをさせて頂いていて、霊様の有難い状態のところへ、こちらからそこへ入って行けれる、ね。言うなら死の交渉が、ちゃんと出来ておった、ね。
 そして沢山の人の祈りの中に、それこそ、も本当に有難いお国替のおかげ頂かれて、ね。
   乗り合う船の おいかぜに して すずしき川の上 渡れば 同じ 向こう岸
と、こう言うのです、ね。お互いが一度必ず向こう岸へ渡らなければならないのです。それも、して涼しき川の上、乗り合う船のおいかぜに、と、素晴らしいでしょう、ね。そういう言うならば内容のあった、いわばお国替であった、ということ。生前になら神になる修行が、どれだけ出来ておられたか、わからないけれども、ね。これはこの世あの世を通して生神をめざしての信心、合楽理念を、もそのお国替であった、という事はこういう素晴らしいお国替という事になるのじゃないでしょうか、ね。
 お互いがです。渡れば同じ向こう岸です。
 今日の四十四節(しじゅうしせつ)と私が申しましたのは、ね。四十四節(しじゅうしせつ)と言うてもよいわけです。よいよい、と言うてもよいわけですけども、それを今日私は始終死、私共はいつもです。言うならば死に影、というものを自分で感じておらなければだめだ、と。悪い事を言うて待つな先を楽しめ、とおっしゃるから、あゝ死ぬるてんなんてん、も、それこそ鶴亀鶴亀と言うて払いたいごたる気持ちもありますよ。けれども、いつならお迎えが来ても、いつ、お国替のおかげを頂いても身のまわり、自分の周辺が信心で整理整頓されておる、というようなおかげを何事にも信心になれよ、というのはそういう事だと思うんです、ね。
 そういう不安、不安と言うか不安じゃないですね。四十四のいつ例えば魂の世界に、いつおかげ頂かねばならんでも、有難い素晴らしいお国替でなからねばならん。四十四と言うことを今日はそういうふうに聞いて頂こう、と思ったんです。いつも死の影がついて回っとる、というのじゃなくてですね。それこそハンドバッグか手カバン位のもの、ね。不安にならなければ心配にもならないような思いで、私共の始終、私共はいつお国替を頂いても、もうこれさえもっていけば、ね。いわゆる合楽理念もってさえいれば霊の世界においてでも、いよいよ生神への精進が出来るんだ、というような私は安心のおかげを頂いての、その手さげカバンでありハンドバッグである、とこう思うんです、ね。金光様の信心はそこまで至らなければ死生感というものも、そこまでにお互い到達のおかげを頂いとかなければ、お道の信心じゃ。合楽でこれ程の行き届いたお教えを頂いておる。言うなら価値がなくなるです。値打ちがないです。これは有難い。
 言うならば何て言うでしょうかね。徳の船にのって、この世は渡らなければならないけれども、あの世へ行くでも、やはり徳の船に乗って渡れるようなおかげを頂きたい、ね。そういう信心が身についていっておる事を楽しみに信心せよ、と教えておられるのですよね。       『どうぞ』